子生み保険ってのを考えた。

この世には障害者や生きにくい人や、また一方で才能や運のある人がいる。そして現状、福祉の財源は今生きている人から税や保険料で集める。

生きにくい人達に非はないから救われるべきだとしても、才能ある人達の財産の所有権は制限されてもいいのだろうか。

 

生まれたとき決まる容姿や健康状態や知能や出身地や育つ環境。これらのステータスが決まるガチャを引いたのは本人ではなく親だ。誰かを(言葉にすると受け入れがたいかも知れないがこれは、強制的に、だ)ゲームに参加させるならば、ステータスが外れだったとき、ゲームを始めさせた者である親が本来責任を取るべきではないか。

わかりやすくするため今ある社会福祉を忘れてまっさらな状態から考えよう。

あるペアが子を生むと決める。生むなら彼らは少なくとも、子である人間の人生においてこの人ができる限り苦しまないようにせねばならない。子のステータスによってかかる金額は大きく変わるだろう。障害者や生きづらい人間であれば金額は大きくなるだろう(医療費などの出費は多く、本人が労働などで得られる収入は少ないだろう)。生きやすい人間であればその逆だ。子を生むことは振れ幅の大きいギャンブルだ。

もしギャンブル性を少しでも減らしたいとするなら、保険制度を作るという考えがある。子を生むと決めた者達(実際もうすぐ生む者達)は保険料を出す。そして生んだ子のステータスによって保険金をもらう(生きにくい子なら多く、生きやすい子なら少なく)。

 

これは全体から見てもわりと合理的なやりかたなのではないか。つまり、今の実際の社会福祉では今生きている人が財源を負担している。(大人になった)ステータスの高かった子からステータスの低かった子にお金が移る。しかしステータスの高かった子は何の賭けにも能動的に参加していない。ガチャを回したのはそれぞれの子生みをした親のペアだ。彼らが福祉の財源を負担する。合理的ではないだろうか。

 

もちろん、今の制度から移行するとしたら移行中はどうすればいいかやどういう人が子を生みやすくなるかなどは考えるべき議題だろう。