親しくしてもらっていた方が亡くなって、自分は嫌な奴だったと、彼女の人生の最後らへんの彼女との会話は彼女を不快にさせただけだっただろうと、嫌な気分になった。人が死んでいるのに自分の為に機嫌を損ねていて、さらに自分は最悪だなと思った。でも元々私などに誰かを楽しくさせることができるはずなどなかったと、自分への諦めを思い出した。

誰かが亡くなった時すべきことは、周りの人に、あなたのおかげでこの人は幸せだったはずだと伝えることだと思った。
自分にさらに失望しないために。

私の死生観は恐らく一般的ではなく、人々は自身の精神的バランスを保つことに奔走したりしておらず、優しい。