まともな生活を垣間見てもやもやと思い巡らす

コロナ禍でめったに外に出ないがたまに出て帰ってくると家が乳臭い。赤ん坊のいる家のような臭いがする。花粉が入るのが嫌で換気をしないからだ。

人間の動物園のようだ。掛け布団にたまった汗。砂だか黴だかで黒い敷き布団。要らないもののつまった押入れ。際限なくわき出る埃。二人でずるずると生かされている。

良い機会があれば私は死のうと思っている。

 

精神を病んでいる者が健康な者と一緒にいるのはもはや搾取だと思っていた。病んでいる者は元気が出るし助けられる。健康な者は余計な苦労を強いられる。

私にとって仕事を苦としつつも二人分の食いぶちを稼いでくる配偶者は神のようなものだ。しかもなんと親と違って彼はそれを使って私を支配しない。

 

世間に在る「まともな生活」を垣間見たとき、しかし、彼も比較的にはこちらの人間なのかと思った。

或まともな生活をしている者は仕事を苦としない。家や車を所有し複数の子を養うほどの金を有している。周りに居すぎて普通だと思っていたけれどきっと登校拒否や引きこもりや家出の経験もないし新卒で正社員になっているのだろう。

 

全ての不幸の元凶である実家も、幼い頃の私にはまともな家に見えていた。否、まともな生活をする者がきっとそうであるように私には自分のうちが普通に見えていた。(酷い家の子もそうかもしれないが。)や、尻をぶたれたり自殺幇助させられかけるのがまともな家でないとしたら、少なくとも外面は完璧だったし、母の調子が良いときは内も完璧に平和で勤勉に回っていた。私がもっと良い子にして学校を嫌がったりしなければそういう時間はもっと長かったかもしれない。

それでもこの連鎖の中で平和なのは、「まとも」だったのは、束の間だったと思う。

祖父に虐げられていた祖母は母に「働けなければ離婚もできない。自分のようになるな。一人で生きていけるように手に職を付けよ」と言って育てた。母は働き詰めに働く人間になった。母も私を何でも一人で出来るように育てようとした。幼稚園児に冷水で靴を洗わせ、中学生に弁当を作らせた。自分の力の能う限り勉強し、最大限良い学校に入り、さらに勉強してよい会社に入る。勉強と同じように仕事をする。私はそれが唯一の人生だと思っていた。

母は過労で鬱病になり大好きな父は若年性認知症になった。祖母と私も精神を病んだ。

大学に入る頃には文字を読むのもやっとの状態でその後無理に始めさせられた一日に数時間のバイトも疲れはてて仕事の時間以外はぐったりしてずっと眠っていた。バイトを辞めた私に母は言った。「働かなければ生きていけない」つまり死ぬしかないのだと思った。高校の頃は太宰治などを好んで読んでいたのにどうして市販の睡眠薬一箱だけで死ねると思ったのだろう。まともに頭が回っていなかったのかもしれない。怖いけれど完璧な母の言葉は絶対だと思い続けてきたが、あまりの死への恐怖でそれを裏切ることになった。

当時は苦しさしかなかった。だから死が怖かった。今はなんだかんだ十分に幸せを享受した。配偶者との日々という。だからそれが尽きたとき死ぬのは怖くないつもりだ。